デルフトを出なかった画家
1632年、デルフトに生まれ、1675年に同じ町で死んだ。画家であり画商でもあり、町の画家組合では2度、頭領に選ばれている。妻カタリーナとの間に子どもは14人。絵は長く、この町の中にあった。
カート
カートが空です

現存する作品は、わずか30数点。それでも「光の画家」として、世界中で愛されている。
デルフトの町で、光だけを描き続けた人。
1632年、デルフトに生まれ、1675年に同じ町で死んだ。画家であり画商でもあり、町の画家組合では2度、頭領に選ばれている。妻カタリーナとの間に子どもは14人。絵は長く、この町の中にあった。
部屋の中で手紙を読み、楽器を弾き、牛乳を注ぐ人たち。何も起きていない一瞬を、左の窓から入る光と、無数の小さな色の点で描いた。青には金より高価なウルトラマリンを、影の部分にまで惜しみなく使っている。
死後、名前はほとんど忘れられ、作品は別の画家の作として売り買いされた。19世紀、フランスの批評家トレが「天才」と呼んで世界の目が向く。何も分かっていない画家だったので、彼は「デルフトのスフィンクス」と名づけた。現存する作品は、およそ35〜37点。
一枚の絵から、一足の靴下へ。

誰かの肖像ではない。当時「トローニー」と呼ばれた想像上の人物画で、東洋風のターバンも大きすぎる真珠も、異国風の衣装として選ばれたもの。2018年の科学調査では、背景がもともと緑のカーテンだったこと、真珠には耳に掛ける金具がなく、白い二筆のハイライトだけで描かれていることが分かった。少女が誰なのかは、今も分かっていない。





台所で牛乳を注ぐ、ただそれだけの一瞬。注がれる牛乳以外、すべてが止まっている。2022年の調査で、下描きには壁の水差し掛けと床の火鉢があり、フェルメールはそれを塗りつぶして何もない白い壁を選んだことが分かった。素早く荒い下描きの線も見つかり、「常にゆっくり精密に描いた画家」という見方が見直されている。




本物は、いまどこで見られるか。
2026年9月13日時点の情報です。会期・展示状況は各館の公式サイトでご確認ください。
作品画像はパブリックドメインの画像を使用しています。靴下のデザインは作品をもとにしたオリジナルです。